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    戦災に見舞われていない小浜西組には昔ながらの街路があります。
    
    
    
    
    小浜西部8区は、東から男山・鹿島・白鳥・浅間・貴船・香取・大原・飛鳥の区があります。
    小路が付く町名は、小浜の町では古くから栄えていたようです。
    各区の旧町名は、下記のとおりです。
    
    男山区は、中小路・八幡小路・西宮前町。
    鹿島区は、八幡小路・中西町・福岡町・富田町。
    白鳥区は、風呂小路・二ッ鳥居町。
    浅間区は、石垣町・滝之町。
    貴船区は、猟師町・浜浦町・文殊丸町。
    香取区は、柳町・常在小路。
    大原区は、今道町・清水町。
    飛鳥区は、寺町・清水町。
    (参照 小浜市教育委員会『小浜の町並み』2003)
    
    
    「男山区」
    ■中小路(なかこうじ)
      中小路は、町内に中家があったことから由来しています。寛永8年(1631年)の『寛永夫代帳』にも
    
    ■八幡小路(はちまんこうじ)
      八幡小路は、八幡神社の前にあったことから由来します。寛永8年(1631年)の『寛永夫代帳』
     
    ■西宮前町(にしみやまえちょう)
      八幡神社前で西側にあることからの由来であります。寛永8年(1631年)の『寛永夫代帳』
    
    「鹿島区」
    ■中西町(なかにしちょう)
      江戸時代に編集された『拾椎雑話』には、町内に有力町人の中西家があったことから由来していると記載されています。
      また、寛永8年(1631年)の『寛永夫代帳』にも町名が見えるところから江戸時代初期には既に「町」として成立していたようです。
    
    ■福岡町(ふくおかちょう)
      福岡町は、寛永8年(1631年)の『寛永夫代帳』には町名がみえず、貞享元年(1684年)の町割の改正で、二ツ鳥居町・中西町・山岸町の各1部を合わせて作られた新しい町です。
    
    ■富田町(とみたちょう)
      富田町は、寛永8年(1631年)の『寛永夫代帳』に記載されている甲呂木町(ころぎ)と、その南側の山岸町が貞享元年(1684年)の町割により、作られた町です。
    
    「白鳥区」
    ■二ッ鳥居町(ふたつとりいちょう)
      二ッ鳥居町は、昔、八幡神社に二の鳥居が町内にあったことから由来しているようです。
      町名の初見は、天正4年(1576年)の「わかさおばまのみやけ日記」(伊勢神宮御師桧垣氏文書)に「二つ鳥居、彦九郎殿」と掲載されていることから、中世以来、町として成立していたと考えられます。
      貞享元年(1684年)の町割改正の際、町内の1部を分けて、福岡町が作られていることから、当初はもう少し大きな町であったようです。
    
    ■風呂小路
      風呂小路は、『拾椎雑話』には、桑村謙庵の屋敷が以前あった周辺に、小浜町内でも、中世以来、豪商町人であった木下和泉守の屋敷があり、その屋敷にある風呂が有名であったことから由来したのではないかと考えられています。
      寛永8年(1631年)の『寛永夫代帳』にも町名が見えるところから、江戸時代初期には、既に町として成立していたと考えられます。
    
    「浅間区」
    ■石垣町(いしがきちょう)
      石垣町は、大永2年(1522年)、守護の武田元光が、現在ある空印寺の場所に館(やかた)を構え、その時に築かれた石垣の跡に由来すると考えられます。その後、寛永8年(1631年)の『寛永夫代帳』にも町名が記載されています。
    
    ■滝之町(たきのちょう)
      滝之町は、寛永8年(1631年)の『寛永夫代帳』に、「滝ノ町」とあり、後瀬山下に龍の滝があるところから、この名前が付いたと考えられます。
    
    「貴船区」
    ■文殊丸町(もんじゅまるちょう)
      文殊丸町は、『拾椎雑話』に、昔、文殊長者という方の屋敷が町内にあったことから由来しています。
      寛永8年(1631年)の『寛永夫代帳』にも掲載されています。また、その証か、町内には文殊丸地蔵が残されています。
    
    ■浜浦町(はまうらちょう)
      浜浦町は、寛永8年(1631年)の『寛永夫代帳』に、「猟師浜浦町」と記載されていることから、古くから町として成立していたと考えられます。
      また、隣の猟師町は、『寛永夫代帳』に記載がなく、「猟師浜浦町」とあることから、猟師町を含む地域が浜浦町であったと考えられます。
      町名の由来は、猟師が多く住んでいたことによるものと考えられます。
    
    ■猟師町(りょうしまち)
      寛永8年(1631年)の『寛永夫代帳』には、「猟師浜浦町」とあり、万治2年(1659年)、猟師町に改められました。
      海岸部にあることから、昔、漁師が多く住んでいたと考えられ、そこから由来したものと考えられます。
    
    「香取区」
    ■常在小路(じょうざいこうじ)
      常在小路は、『拾椎雑話』には、寛永7年(1630年)の『寛永夫代帳』に「常西町」とあり、万治2年(年)に常在小路と改められたと記載されています。
      なお、由来は、町内に常在寺があったことからと考えられています。
    
    ■柳町(やなぎまち)
      柳町は、
     
    「大原区」
    ■今道町(いまみちちょう)
      今道町は、寛永7年(1630年)の常高寺建立により、街道が付け直されたため、その新しい道をもって名付けられたと考えられています。
      昔は、今の常高寺惣門の内より山門前道を横切西口へ出る道が丹後街道であったと言われています。
    
    ■清水町(しみずちょう)
      清水町は、町内に名水「清水」があったことから由来しています。
    
    「飛鳥区」
    
    ■寺町(てらまち)
      寺町は、隣にある柳町では、延宝期(○○年~○○年)より庵を結び、寺を立てる坊主が多くなりました。
      その頃から寺のある通りを寺町と呼ぶようになったと言われています。
    
    
    
    
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